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2009年10月11日

自由と利便性の取引

 以前書いたエントリの続きです。

 以前、椰子の樹と林檎の樹の比較を書いた。その時に考えたが書かなかったことがある。それは、「権利の廉売」という概念をこの比較に当てはめることができるということだ。今回はそれについて書こう。

 ずっと前のことだが、著作権に関する話題で、「権利の廉売」という言葉を使った(ボイスにしたことはどうか忘れて欲しい)。それは、著作物を複製するという(昔は個人レベルでは行使する機会の少なかった)権利を法の名の下に制限し、それによる利益を著作者に一時的に独占させ、それによって著作者を動機付けることで(優良な著作物を増やすという)全体の利益を促進するという取引のことだった。それがまったく同じ形ではないにせよ、椰子と林檎の対比にも当てはまると思ったのだ。

 つまりこういうことだ。椰子の樹の下での自由は、圧倒的多数の消費者には行使する必要のない(あるいは行使するのが面倒な)自由だった。そこで林檎の樹の下では、その自由を制限する代わりに、利便性が提供された。これは権利の廉売に良く似た取引だ。もちろん林檎の樹は法ではなく契約によってその仕組みを提供している。そして現状をみる限り、それは全体としては良く機能していると言わざるを得ない。

 ただしこのことは、椰子の樹の下で「自由の使い方」を知ってしまっている(あるいはそれが面倒でない)人間には単純な制約、不自由、あるいは「後退」と映るかもしれない。それは無理もないことだ。しかし、林檎の樹はそのようなユーザが全体としてみれば少数であることを知っている。キーワードとして、明らかに "Pop" が存在する。つまり大衆化だ。大衆にとって適切なレベルで自由の制限と引き換えの利便性を提供したことが成功と拡大の1つの要因であると言えるだろう。

 前回も書いたことだが、善悪是非を問うたり優劣を論じようというのではない。ビジネスとして見れば、明らかに林檎の樹の方が良い結果を出しているというのはもちろんだ。ただ、ある程度長い間椰子の樹の下にいた人間として、見えてくることをまとめようとしているに過ぎない。

 「権利の廉売」のそもそもの話題である著作権問題に立ち戻ってみよう。過去から現在に至るまでの間に、「複製を作成すること」は一般消費者にとって明らかに身近になってきた。それによって廉売の対象となる「複製を作成する権利」は高価になったわけだ。この流れで行けば本来的には一般消費者の自由は拡大されなければならないが、著作権の存続期間は(少なくとも)短縮はされず、全体としては望ましくない状態にある。その方面の現状はさておき、面白いのは椰子と林檎の話題では一般消費者の自由がより制限される林檎の方が人気を得ているということだ。

 このことからわかるのは、「人は自由のみにて生きるにあらず」ということだろうか。そうかもしれないが、他の要因もたくさんあることだろう。おそらく、一番大事なのはバランスだと思う。圧倒的多数の消費者がフラストレーションを溜めない程度に自由を制限し、利便性を最大にする。これも一種の「最大多数の最大幸福」かもしれない。

 問題は、「椰子の実を味わい、自由を知ってしまったアダムとイブたち」がそこでどう生きていくかだ。簡単で効果的はレシピなどないが、このエントリの話題から出てくる結論はある。それは、消費者にとっての「自由の価値」が上がれば良い、ということになるだろう。つまり、大多数のユーザにとって、林檎の樹の下での制約が我慢ならないものになればよい。林檎の樹は馬鹿ではない。現在のバランスを達成できたということは、バランスを保ち続けるだけの才覚があるという可能性をも示唆しているはずだ。なんだかアジテーションぽくなってしまうが、ユーザが自由に目覚め、それを要求するようになれば林檎の樹の下でも少しずつ自由が増えていくかもしれない。

投稿者 kagelow : 2009年10月11日 05:30

コメント

日本の携帯電話とスマートフォンの位置づけにも
繋がるところがあるのかなと思いました。

時に「ガラパゴス」と揶揄される日本の携帯市場ですが
それがここまで受け入れられるのは
やはり「最大公約数的幸福」を日本のユーザーの大多数が
受け入れ、(ほぼ)満足しているからかと。
日本でスマートフォンへのニーズが高まらないのも
それに起因してる気がします。

林檎が与えてくれたスマートフォンへの誘いは
まさに「POP」で、それが今のiPhoneの成功に
繋がってるんでしょうね。
「不自由さの解放」のタイミングも絶妙ですし。

投稿者 nebbish : 2009年10月11日 12:09

> nebbish さん

 「無知」という概念も見逃せません(見下すような意味合いではなく)。与えられた世界がそれで完結していると思い込み、自由という地平がどこまで続いているのかを知らなければ、それを欲することもないでしょう。これは、林檎と椰子の問題にも、日本の携帯電話市場にもあてはまると思います。大半の iPhone OS ユーザも、大半の日本の携帯電話ユーザも、自分達に与えられた世界の外側を知らないのでしょうから。

投稿者 kagelow : 2009年10月11日 22:02



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